講師

ご挨拶

「目標が計画を生み、計画から自主性が芽生えます。この自主的な学習こそが成績アップをもたらします。」

これを信念として長年私塾の運営にかかわってきました。

塾長自らが一人ひとり指導することで個人別指導を実践しています。

約束

開星塾がみなさんにお約束できることがいくつかあります。

 

まず当塾には「入塾テスト」という足切りシステムはありません。

入塾資格はみなさんの「何とかしたい」「勉強できたい」という意志と思いだけです。

 

試合を見ているだけでテニスが上手くならないのと同じで、いくら授業を聴いても問題が解けるわけではありません。

成績を伸ばしている人はかならずどこかで問題集を使って自分で勉強しています。

 

当塾は自分で勉強する力をつけることが一番大事と考え勉強方法を丁寧に指導しています。

一人ひとりと向き合い、その人にとって本当に必要な学習を見つけ出し塾長自ら提案し、実践し、修正することで確実な成績アップを実現します。

 

これが開星塾の個人別指導だとご理解ください。

全力

教室にはいつも先生がいてあなたの勉強を見守ります。

 

問題がわからなくて手が止まっていると先生が助けてくれます。

集中力がとぎれて勉強がはかどらないときは、先生がバカな冗談を言って笑わせてくれます。

疲れて眠そうにしていると声をかけて励ましてくれます。

わからない問題があれば何度でもていねいに説明してくれます。

 

先生の目標はあなたが目標を達成することです。

だか全力であなたを支えます。 

塾にできること

種を植えて芽が出てそれを自分のおかげと自慢する人はいません。

種は自分の力で芽を出すのです。

 

学力も同じです。

子どもは自分の力で伸びていきます。

 

塾にできることは、より良い学習環境を整え適切な学習指導を通して、一人ひとり手間を惜しまず、とことんつき合うこと。

あとはガンバレ、ガンバレと応援するだけです。

 

そんな開星塾ですが、私たちと一緒に新たな春の一歩を踏み出してみませんか。

経歴・プロフィール

〇1960年大阪市に生まれる。

・日本の高度経済成長とともに成長しました。

〇その後、姫路、富田林、大和郡山の4つの小学校を転校。

・転校先ではドッジボールを通して友達を作った記憶があります。

郡山南中学校時代(昔々の昭和50年)

※当時の中学生はみんな制服の胸ポケットに万年筆やボールペンをさしていたような気がします。

〇小5以来ずーっと奈良県在住、郡山高校卒業。

・受験番号は424、「どっちから読んでも死に死にやん!絶対あかんで」と笑われました。

〇高3の秋、進路面談で担任から山盛りの予備校パンフをいただいたことがなつかしい。

・高2までは「どこでも好きな大学受けていいよ」と言われてたんですが・・・

 

〇大阪外大・ビルマ語学科不合格。

・浪人すれば共通一次(センター試験の前身)を受験しなければなりませんでした。

〇浪人を泣いて親に頼んだが受け入れられず、泣く泣く関大の英文に進学。

・当時「あそ文学部、どうでも英文学科」と言われてました。

 

〇授業に出た記憶は無いが、4年間で37種類のバイトで社会勉強。

〇4年間やり通したバイトはマクドナルドで笑顔を学び、塾講で話術を学んだ。

・マクドナルドといっても閉店後のメンテナンスですが。

〇一番の思い出はウルトラマンになって関西の遊園地を公演して回ったこと。

・えらそうにウルトラマンになりきってサインしてました。

〇友達は背が低かったので、いつもカネゴンとピグモンだったことを覚えている。

・カネゴンってウルトラマンシリーズの前身ウルトラQに出てくる怪獣です。

 

〇大学卒業後、繊維の専門商社に入社

・昔、ラコステやハンテンて流行りましたよね。

〇もともと教師になりたかったが教育実習の申し込みを1日違いで逃した。

・人生最大の痛恨です。部活のリーグ戦ですっかり忘れてました。

〇4年間お世話になった塾の先生が病気で引退。

〇後を託され、そのままサラリーマンから塾長に転職。

 

〇当初、奈良、生駒、郡山と多店舗経営をしていたが、名前しか知らない生徒が増えることに疑問を感じた。

・当時、教室長3名アルバイト20数名の講師がいました。

〇「目の届く身の丈に合った塾を」の思いから学園大和町に開星塾を開く。

 

〇8年前、速読に出会い、後に多読精読協会の理事長になる長井氏と速読を始める。

〇そして現在、気がつけばアラ還になっていた。